ルールとモラル
ルールとモラルの区別がつかない人が多い。
だから、「ルールを破ること」と「モラルに反すること」の区別がつかない。あるいは「ルールを守ること」と「モラルに従うこと」の区別もつかない。
すると、ルールとモラルについての「優先順位とバランス」がおかしくなる。
たとえば、生活に困窮した人が税金を滞納するとしたら、これはモラルに反する行いだろうか?僕にはどうしてもそうは思われない。税金の滞納は確かにルール違反かもしれないが、それは倫理的な意味で「悪」だろうか?
ルールとモラルが混淆していると、これは「倫理的な悪」のように見える。だって税金は義務でしょう?義務を果たさないのは悪いことでしょう?自分のことを優先してルールを破るのは良くないでしょう?そう思うようだ。いや、本当は「ようだ」なんて他人事ではなく、僕自身もごく最近までそう考えてきたから、よく分かる。
しかし、ルールとモラルを区別して見れば、これは随分とおかしな考え方だ。何がおかしいかと言えば、優先順位とバランスがおかしい。
人間が生きることと、税金を納めることなら、どう考えても「生きること」が優先する。税金なんて後から払えば良い。国税庁の職員があなたの税金がないからといって食べるに困るか?誰も困らない。人が自らを毀損しながら払うべき税金などあるはずがない。
喩えるなら、火事になったショッピングモールで、逃げるよりも駐車料金の支払いに向かう人のようだ。そんなの後から払えば良いし、なんなら請求だってされないだろう。これに等しい優先順位とバランスのおかしさだと、今の僕には思われるがどうだろう?
あるいは反対の例を考えてみる。
たとえば大金持ちが、組織的に継続的に、莫大な額の税金逃れをしていたらどうか?それでいて、社会リソースを優先的に利用できるような状況であれば?
これはもし、ルールに則っていたとしても、倫理的な「善」とは見做されないことがあり得るだろう。そして場合によってはルール(この場合は法律)が書き換えられるだろう。実際そのような議論はあって、それは何故かと言えば、つまりルールとモラルは別物だからだ。
そして、モラルは常にルールに優越する。
単に「ルールを破るのは悪い」というだけではなく、「自分を優先する」ことへの抵抗感もあるだろう。
つまり「自分のためにルールを破るのは悪いこと」という感覚。「みんなのルール」より「私の幸せ」を優先するのは我儘だ、一定の義務を果たした者だけが幸せを享受する資格がある、そういう感覚。それも分かる。そう言う感覚にとても長い間苦しんで来た。
だが、と今は思う。私よりも他の誰かを優先させるようなことがあるとして、少なくともそれは「誰かに強制される」種類のものではないはずだ。
たとえば僕が、生活に困窮していたとして、だけどこの支払いをしなければ相手も食うに困ると感じるような相手なら、その人のところに行って相談して、僕に出来る限りの払いをしようと思うだろう。それはたとえば税金とも火事場の駐車代とも違う。
根源的に分かり合えない部分がある理由も、ある程度想像がつく。それは僕のキリスト者としての信仰によるだろう。
「私は良い。私は存在して良い。私は幸せであって良い。そこに何の条件も前提も資格も必要ない。なぜならば、人はみな神に愛され、神の意志によって、この世界に存在するのだから。」
僕はそう信じる。ここに理屈はない。
この確信を、自分や社会を超えた「外側」に持っていなければ、広い意味での「ルール(社会的な合意や有形無形の人的強制力)」から独立した「モラル」は、想起しにくいだろうと思う。(急いで付け加えれば、ここで主旨は「キリスト教は素晴らしいよ」というような話ではない。)
個人や社会の「外側にある真理」としての「善悪」を、真摯に追い求めることによって立ち上がる、新しい人間の世界を、僕は夢想する。ちょうど科学が、人間の外側に「不変の真理」を措定し、我々の認識宇宙を広げてきたように。
どうやるのかはまるで想像もつかないが。



日本で刑務所から出ても、もはやかつての友人や知人、家族までにも縁を切られているならば、社会の中で働こうというよりも「慣れた」刑務所に舞い戻ってもいいから脱法行為をしてしまう人は少なからずいます
所謂軽犯罪なので新聞ネタにもなりませんが
かつて「手癖が悪い」とカゲで言われているような人たちが一定いましたが、アレは盗癖があったということなんだろうと知ったのは何かで読んだ最近のことです
酷くなれば限界が来るのは当たり前ですが、日本でもそういう人たちも入り混じっていたんだなぁと思いを致しました
ルールとモラルがごっちゃになっているから、モラルを破った人のペナルティは無いのに、ルールを破った人が理不尽にペナルティを受けることが多い。そして、日本人はモラルよりもルールを重視する。
integrityが無いから、モラルをルールで縛ろうとするけれど、限界があると思う。なんてことを改めて考えました。
江ノ電、また乗りたいー。23年もご無沙汰。